薬王院

薬王院

薬王院は洲宮神社の隣にある真言宗智山派のお寺で、正式には大明山薬王院といいます。縁起には、洲宮神社の祭神天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)の子孫で神主家の人物が僧となり、永正元年(1504)に薬師如来像を彫刻して庵を結んだのが当寺の始まりと記されています。

石段の左に馬頭観音3基が祀られており、中央は天保10年(1839)9月、右端は明治12年(1879)に建立されています。

境内にある手水鉢は慶応2年(1866)7月に洲宮村の人びとによって奉納されたもので、願主である川口清右衛門・渡辺六良右衛門のほか施主19名の名が刻まれています。

3基並んだ僧侶の墓のうち右端は薬王院中興2世の隆中という僧のものです。刻まれた履歴によれば隆中は竹原村須田氏の出身で、字(あざな)を英浄といいました。16歳で仏門に入り、京都の智積院(ちしゃくいん)で修業した後、24歳で地元に戻りました。高井の善浄寺の僧となった後、当寺に移りましたが、病を患い亡くなったそうです。墓は明治27年(1894)の建立で、隆中が読んだ漢詩が刻まれています。