金 蓮 院
(こんれんいん)
真言宗智山派の寺院で、正式名称は金剛山慈眼寺(じげんじ)金蓮院。
開山は鎌倉時代前期といわれ、本尊は大日如来です。
1.金蓮院の始まり
「犬石伝説」より
(金蓮院のある場所が「犬石」という地名)
古文書によれば、伊豆から来た高僧が犬尾岬(西方約1キロ)を訪れたところ、真っ黒な大きな犬が現れ高僧の法衣の裾を咥えて離さず、大きな石塚「飛錫塚(ひしゃくづか)」のあるこの地まで導いて犬は狂ったように大喜びしたそうです。制止できなくなった高僧がその石塚の頂きに登り、観音経を唱え錫杖を打ち振ったところ、六つの輪が飛び散り犬の姿も消えました。そこでこの地に観世音菩薩を奉安するお堂を建てたのが金蓮院の始まりであると記されています。
2.飛錫塚(ひしゃくづか)
「犬石伝説」の犬が高僧から離れないため、錫杖(しゃくじょう)を石塚の上で振ったところ犬が消えたので「飛錫塚」と言うようになりました。この下に観音堂が建てられていました。
3.観音堂
十一面観世音菩薩が祀られる安房国札観音霊場29番札所。丑年と午年に開帳されます。犬に導かれて来た高僧が草庵を建て観音菩薩像を安置したことに始まります。明治39年の焼失まで本堂の裏にありましたが、明治42年に今の場所に再建されました。
観音霊道御詠歌
「ずんと入り
見上げて見れば
飛錫塚(ひしゃくづか)
極楽浄土は
犬石の堂」
4.山門
飛錫塚に向かって一直線にのびる参道に山門があります。形式は四脚門(しきゃくもん)で「慈眼密寺」の掲額(けいがく)があります。
間口=柱芯芯9.3尺 屋根=銅板一文字葺き
令和元年台風15号によって山門が倒壊してしまいましたが、その後、令和2年12月に再建することができました。再建工事の際、古い部材に「宝暦7年2月」の墨書き文字が発見され、山門が建てられた年代が確認されました。
5.本堂欄間の龍
本堂の欄間には、作風から安房の名工・武志伊八郎信由と二代目信常との合作と思われる、縦3尺(90cm)✕横14尺(4m20cm)の大きな彫刻「波と親子龍」があります。
6.宝篋印塔(ほうきょういんとう)
宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)経を納めた塔。塔身に金剛界四仏(しぶつ)の梵字(ぼんじ)が刻まれています。笠の反り具合から江戸時代後期と思われます。